無気力ちんぶん

日記や思ったことを諸々綴る

川島はそんなに叩かれるべきなのか?

2-3でベルギーに逆転負けを喫して日本のワールドカップは終わった。

 

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本大会4試合を通してGK川島の叩かれ方が異常というか、どうしてそんなに叩かれるのかがわからないからここ川島はそんなに酷かったのかということについて、キーパーをやっていた経験も踏まえて見ていこうと思う。

 

 

 

コロンビア戦の失点

まずは失点シーンを見てほしい(Youtubeのサイトに飛んでください)

youtu.be

この失点の後ツイッターを見ていると、「反応が遅い」、「ポジショニングが悪い」、「ゴールの中で守るな」だの非難轟々だった。

けれども、壁の下を通すフリーキックは普通のシュートとは全くの別物だと思ってほしい。

そもそも、フリーキックで壁を配置するとなるとキーパーは普段とは違ったポジショニングをとることになる。フィールドプレイヤーの壁でシュートコースを限定させられるからだ。

 

フリーキックではなく、普通の流れの中でのポジショニングはこれがセオリー。(線とかぶってる緑の選手がいてもいなくてもGKのポジショニングは変わらない。)

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手前側(ニア)は腕が白い線に届くあたりまで寄って少し前に出ることによって、奥側(ファー)の距離を稼ぎつつシュートを「打たせて」それと勝負をするのがセオリーである。近い距離であったとしても少しでもシュートストップを図ろうとするにはこのポジショニングが一番適している。キーパーなら考えるまでもなく無意識にこのポジショニングをとるのが常だ。

 

コロンビア戦での川島のポジショニングはこれ。

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このポジショニングもセオリー通りだ。

普通のシュートならば手前側(左のポスト)に寄っておくところだが、今回はフリーキック。しかもキッカーからするとめちゃくちゃいい場所で、キーパーからするとめちゃくちゃ嫌な場所。壁になる選手にも戦術的な並べ方等はあるが、今はおいておこう。

この場面でキーパーの川島は外側に寄っているが、これは正しい。というのも、壁を配置することに寄って左側のシュートの大部分を消すことができているため、川島は「①右側」に来たボールを正面で止めるか、②「壁の上を越したシュート」を飛んで止めるかの2択に絞ることができる。①は動かなくても止められるから、②の準備をして蹴る寸前に左にステップを踏んで飛べばキーパーとしての最低限のセオリー、最低限の役割は果たせる。もっとも、ここまではどんなキーパーでも大前提として考えることで、止められるかどうかはキッカーの質やキーパーの「反応」と「飛び方」等、プレイヤーの技術にかかっている。

キッカー側から見るとゴールはこんな感じ。

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キッカーとしても、シュートを考えるなら同じくセオリー通り①②を狙うが、③「壁の下」を狙うシュートもある。もちろん③のシュートがありえるのはキーパーも承知済みだ。

ただ、壁の下を通すシュートは壁の選手に止められてしまう可能性が高く、絶好のチャンスでこれを成功させる度胸や技術のある選手は多くはないと思う。

そのため、壁の下を通すシュートはセオリー外しの意外性があり、壁に視界を遮られることもあるキーパーとしては難しいコースなのである。

また、壁の上を越したシュートは少し山なりの弾道になるため、ゴールまでの到達時間は少しかかるが、壁の下を通すと一直線にゴール、しかもキーパーから遠い所に向かうため、反応することさえできないキーパーも多い。

youtu.be壁の下を通したゴール集を見ても、なんでそんなに遅い球なのにキーパーは動きもしないのかともう人もいるかもしれない。

けれど、ノイアーでもジダでも、壁の下はきついものなんだ。

 

むしろ川島は慰められるべきだろう。

headlines.yahoo.co.jp以下昌子のコメントを記事から引用

「ミーティングでボールの質を見て、できるだけつま先立ちでギリギリ高く、(でも)飛ばんでいいって言っていたら、みんなハイジャンプをやった。ミーティングであんだけ言われていて注意して、壁に入る人は最後までボールの質を見て、蹴られた瞬間まで頑張ってみたいなという感じだった。非常にもったいない失点だった」

このコメント通りだとすると、③壁の下の可能性はゼロとして①②のシュートコースに専念していた川島からすると味方に裏切られた感じはするだろう。

 

それでも反応してボールに食らいついた川島は惜しかったとしか言いようがない。

「どうしてゴールの中で止めようとしてるんだ」という疑問もあるかもしれないから、これについても少し見ておこう。

川島がボールに触ったときの位置がここ。

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ゴールの中じゃんって感じがするけども、これは本当に仕方がないと思う。仮に壁の下のシュートに反応できていたらもう少し前で止められたかもしれないが、上述したように完全に想定外だったからこういう結果になったのだと思う。

ただでさえ斜め前に向かって飛び込まないと止められないから、少し反応が遅れると真横もしくは斜め後ろに飛び込まないといけなくなってしまう。

 

このフリーキックは川島からするとある意味悔しい失点だっただろう。

仮に責めるとすれば、クリアミスをしたり、ファールをしたり、飛ばない約束なのに飛んだフィールドプレイヤー達だろう。

 

セネガル戦の失点

 これもYoutubeに飛んでください(00:13あたり)

www.youtube.com

クリアに問題があることはおいておいて、これはたしかに川島のミスだといえるだろう。

今大会ではボールがブレやすいとは前々から言われていたため、「キャッチできずにこぼしてしまうリスクを考えて正面のボールをパンチングで防ごうとした」というのはわかるが、弾く方向に問題があったと言えるんじゃないかと思う。結果としてブレたシュートでもなかったし。

ここはそんなに書くことはない。2失点目もノーチャンス。

 

ポーランド戦の失点

反応できるかできないかの問題であって、川島のミスではないからここも書くことはない。

 

ベルギー戦の失点

流れを変える失点となった場面。(これもYoutube飛んでください、1:04あたりから)

youtu.be

 

これも、緩い山なりの弾道だから止められるんじゃないか、ポジショニングが悪いんじゃないかという批判を多く見かけたが、そこまで責められるようなものじゃなかったと思う。もちろん、川島のハイボールの処理、寄せずに手を上げて仰け反ってた酒井宏樹に問題はあるがそれは置いておく。

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今回も、川島のポジショニングはセオリー通りだ。競った後のこぼれ球、万が一のためのシュート対応には問題のないポジショニングだ。ただ、本当に仕方がなかったとしか言いようがないと思う。一番対応すべき優先度の低いボールがきたのだ。

キーパーからすると、角度のないところからサイドネットに向かって山なりのシュートを打たれると、対応が非常に難しい。ヘディングするほうも難しいし、普通は狙わないだろっていうシュートだと思う。

身長が3m50cmくらいあればなんなく止められたかもしれないが、残念ながら身長が足りなかった。

このようなシュートにキーパーはどのように対応するのか。

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まず、ボールの着地点(ゴール)に向かってボールを見ながら走らなければならない。そして、落下してくるボールに対して、半身になって走りながら高くジャンプして上もしくは横方向に強くボールを弾き出さないといけない。

ジャンプするタイミング、ゴールポストとの距離感等、ボールを見ながら感覚に頼って対応しなければならないため、この角度でこのボールの処理は非常に難易度が高い。

このボールを経験したことがある人にはこの難しさはよく分かると思う。

 

 

この大会では、川島の叩かれ方が尋常じゃなかったと思う。

確かに、キーパーはミスが失点に直結するポジションで未経験者からすると非難の対象になりやすいポジションだとは思う。けれども、この大会では川島は他の国のGKと比べてそんなに悪くはなかったと個人的には思う。セーブもよくしてた。

www.footballchannel.jp

デ・ヘアノイアークルトワにしてもなんでそんなミスをするんだ、高校生でもしないぞ…といったプレーが目立ってた。変に海外サッカー病をこじらせて日本サッカーを叩く人は多いが、そういった風潮が川島に対してこの大会ではあったと思う。「川島だから」、「日本だから」叩いていた人は多いだろう、それが本当にキーパーのミスかどうかを考えずに。

セネガル戦で川島がパンチングのミスをしたのは叩かれていたが、大迫はどうだったか?絶好のチャンスで空振りをかましていたのに「大迫半端ない」とか言っていた。確かに半端ない、あそこで決められないのは。2試合目以降の大迫は半端だった。

 

キーパーと違って攻撃的な選手はミスをしても失点には繋がりにくいから、ぼーっと試合を見ている人の非難の対象にはなりにくい。

誰がクリアミスをしたのか、誰がファールをしたのかということは30秒後には頭から抜けている人がほとんどだっただろう。失点の経緯を無視してそのシーンだけを見て、キーパーのミスだのミスじゃないだのと言い合っているうちは、日本でキーパーなんて誰もやりたがらないし、育つわけがないと思う。

サッカーの文化が根付いてないサッカー後進国でプレー環境も整っていのに、キーパーという重要で、特別な技術や高い身長、語学能力を要するポジションを蔑ろにしている間は、世界に名だたるキーパーは日本からは出てこないだろう。ただでさえ背が小さいのに。

 

大迫半端ないネタも何年も前のネタだし、多くの人はワールドカップが終わるともうサッカーのことなんて忘れてしまって優勝国がどこかなんて気にもかけていないだろう。

結局この国ではワールドカップはほんの数週間のお祭りでしかなく、「サッカー」に興味があるんじゃなくて、「話題」に興味があって、目についた叩けそうな人を叩いて自分を納得させようという人が多いんだなということを感じた。

それとともに、そんな軽い感じで川島が叩かれて戦犯扱いされているのが本当に残念で悲しくなった。

 

 

 

PS:そういえば昔にもキーパーのことについて書いてたらよかったら見てみて。

ban-gard.hatenablog.com

 

 

進捗

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予備試験に向けて本格的に勉強を始めてから2ヶ月半くらい経った。

民事系(民法・商法民事訴訟法)のいわゆる入門講座を終わらせ、今は刑法の入門講座と並行して民法の論文の練習を始めている。

予備校の担当の先生に添削と進捗確認、内容の確認等をしてもらっているから、やらなければならないことがなかなか多い。

論文は、書き初めの頃は全然書けないとは聞いていたけれど、思った以上に書けない。ある程度は覚悟はしていたけれど…。そもそも論証を覚えておらず、答案に論証を写して書いても、後の当てはめ部分がどうしても薄くなってしまう傾向があるみたいだ。ここはとても大切なところだし、読ませる答案を書いていかなければならないんだと思う。六法はどれだけ面倒でも引くということと、アウトプットが超重要だということは先人たちが皆口を揃えて言ってくれていることだから、これは絶対に守ろうと思う。

 

この勉強をするのは苦ではないけれど、ずっと向き合っているとなかなか辛いものがある、精神的に。遊びたいとかそういうのではなくて、落ちたときのことを考えるとその先のことが全くイメージできなくなる。それが辛い。

 

来年の予備試験を受けるのに、今の時点でこんなに弱気だったら受験時はどうなるんだろうか。今日から司法試験で週末には予備試験の短答があるが、予備試験に合格した受験生達もかなり精神的にきてる様子が伺える。

 

法曹養成制度や業界について色々文句を言いたいところもあるが、まず受からないとただの戯言みたいになってしまうから、なんとしても受かりたい。

ロースクールは金も時間もかかるし、司法試験を受けるにはむしろ行きたくないくらいだから学部中に予備試験に受かりたい。チャンスは2回だけだ。

ローに行かないといけなくなったときに備えてGPAも稼いでおかないといけないし、来年のためにも今年中に取れる単位は取っておきたいからひたすら机に向かっておかないといけない。必修がうざい(n回目)。

 

バイトも週1に減らしたし、夏が明けたら辞めると思う。

そのくらいしないと本当にお先真っ暗になってしまうかもしれないので。

 

本当に将来像が見えないけれど始めたからにはやるしかないので、やっていく。

見えない価値

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価値といって一番しっくり来るのは動産や不動産の値段じゃないか。経済学に疎いけど、基本的には物の値段は需要と供給の兼ね合いで変わってくると思う。しかし目に見えない物の価値を把握することは難しい。例えばサービス業だったりもっと特殊な職業だったり。以下で書くことはサービス業というより、お金で把握しにくい心遣いというものを考えてほしい。

 

サービス自体の価値をお金で把握するということは、目に見える物にお金を払うわけではないから難しいと思う。あくまでもサービスは提供側の「思いやり」で成り立っているものだと思うからだ。もちろん、「お客様は神様」を謳う悪質クレーマーというわけではない。飲食店の店員の形骸化したサービスも多く見られるが、中には本当に思いやりの心をもってサービスを提供しているという人もいるだろう。この2者の違いはあまり表に出にくく、実際にサービスを享受する側としてはどちらも同じように見えるということが多いのではないかと思う。特別に良いサービスを売りにしていたり、格式が高いようなところであったりするとサービス提供側も気を引き締めているだろうから価値はある程度把握できるかもしれないが、多くは人の内心は誰も知り得ないから、心遣いの違いに値段で価値を把握して差をつけることは難しい。もちろん、サービスを享受したことの対価として料金を支払うということも考えられるが、外観が全く同じだと、頭の中が空っぽで接客した人と本気で客のことを思って接客した人の得る対価に違いがなくなる。サービスを享受する側からするとそんな違いはどうだっていいと思うかもしれないが、自分がサービスを提供する側だとなんかしっくりこないというか完全に納得できるものではないんじゃないかと思う。じゃあ頭を空っぽにして働けって言われたらなんともいえないが。

 

もちろん、価値は全て代金に変換して考えることができるというわけではない。

例えば、「名誉」というものがある。単語の定義はおいておいて、簡単に言えばこれは実際に何かを成し遂げたときや特別な地位に就いたときに世間一般から付与されるものだと思うが、この名誉をお金で買うことはなかなかできない。むしろお金で買えないから名誉なのだろう。愛だって同じだ。もちろん、寄付活動や支援を積極的に行ったという場合には少し違うかもしれないが、支出したお金よりもその行為自体に価値が重きを置かれて名誉というものが発生するんじゃないかと思ってる。

世間一般は、世に意義のあるもの、自分の欲しいもの、自分にくれたもの等の価値を評価するが、その世間一般がそう思わなければ価値はないものとして考えて良いのだろうか。

 

税金について考えてみるとどうだろうか。もちろん国として成り立っていくためには税金が必要で、公共事業や公務員の給与にも税金が使われるが、僕たちが税金を払うときに、「今この払った税金は来週のあの日の国会運営費になるんだ」とか、「あの道路の修補費用になるんだ」とか、「市役所のあの人の給料の何円分になる」と思うことはないだろう。それは、実際に自分が間近でサービスや利益を享受したと考えにくいからだと思う。警察官のパトロールによる「治安を維持するための抑止力」自体にどれくらいの価値を評価すればいいかというのは難しいし、「税金を払っているのに自分の周りでは何も改善されない」という状況では何に対して税金を払っているのかということを把握するのは難しいだろう。というよりも不可能だろう。

国民は理論的にはそういった税金が国家の運営に必要だということはわかっているだろうけど、自分の払っている税金の金額が本当に真っ当なものなのかということまではわかり得ない。だから国民は政治や政府、公務員に疑問感や不信感、敵対心を持つのかもしれない。国民の生活の安全や保障は目に見えないもので保たれているが、税金の金額の正当性や国の行為が目に見えないが故に、公務員や国側に何か問題があればそれを過剰に攻撃することもある。もちろん、今の司法・行政・立法の3権ともに不祥事が目立っているが、これを批判するのはわかるし、当然のことだと思う。市役所の人の対応が悪かったという場合だと、税金を払っている上悪い対応をされたとなれば怒りたくなるのもわかる。だが、基本的には目に見えない物によって国家は運営され、僕たちの生活は守られて保障されている。だから、国側だからといって頭ごなしに過剰に公務員を叩いたりするムードが広がれば公務員の価値は下がっているように見え、公務員になりたがる人の質や数も減っていくだろう。

 

ここで言いたいのは、基本的には価値というものは自然に作られるものだが、国家を運営していくにあたっては価値を創り出さないといけないんじゃないかということだ。公務員は上述したように叩かれやすいが、公務員の質や数を極端に減らす訳にはいかない。もちろん、余剰な公務員は必要ないが。国家を安定させるためには、どうにかして公務員の価値を作り出し、高めて人材を確保しなければならない。が、今の政治にはかなり厳しいものがある。自衛隊だって同じで、国防という観点は国民に実感されにくく、その価値を把握することは難しい。しかしここに価値を作り出していかないと国自体の安定性にも影響が出ることもある。そこにはどうしても名誉の創造も必要となると思う。戦前の「お国の為に」といった風潮や謳い文句は、国の運営方針は別として、国を維持していくには間違ったものでもなかったんじゃないだろうか。もちろん、国家の権力を憲法で制限しなければならないのは大前提だが。

 

国家の運営にはこういった価値を作り出すことに努めることが必要だと思うが、実情はそうじゃないように見える。国に携わる仕事や人間の価値・評価を高めていかなければ国の質は下がっていく一方だし、国はそうさせないように努めなければならないんじゃないだろうか。

ものは考えようというのが苦手だ

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ものは考えようというのが苦手だ。

 

身の回りのことやニュースを見ていると色々なことを考える。

特に、人前で話すときにかなり緊張するタイプなのでプレゼントなどをするときは、「俺は全知全能の神でお前らのために話をしてあげてるんだ」と自己暗示をかけてプレゼンに挑むわけだが、あえなく失敗する。

人前で話すときの定番なネタに、「他人をジャガイモだと思え」っていうのがあると思う。これはどう考えても無理だ。その他人は目も鼻も口もあるしモゾモゾ動くからどう見てもジャガイモじゃない。

 

「~~~だと思えば気が楽になる」という言葉はよく見聞きすると思うが、実際にそう思えれば苦労する人はかなり減るだろう。実際に効果があったと認識した人はもともとそんなにネガティブタイプの人ではないんじゃないか。人間はジャガイモになれないから。

 

ただ、満員電車で催したときは神に救済を求めるしかない。僕は宗教家ではないけど、人間は極限状態だと存在しないものにすがろうと考えを変えるものなんだなとここ数年で学んだ。普段は「ものは考えよう」なんて無理だと思っているが、究極にピンチな状態になると最終的には「ものは考えよう」の思考になるのだろう。

だから、人前で話すようなことで緊張をするくらいではまだまだピンチではないから案外どうでもいいことなんだなと考えてみることにしよう。無理だろうけど

 

 

追記:時間割も決まって生活が安定してきた。試験に向けて規則正しい生活と勉強習慣を心がけていこうと思います。

吉野へ再び

先日、奈良の吉野に行ってきた。

www.yoshinoyama-sakura.jp

以前にも吉野には行ったことはあったけれど、いわゆる自称進学校特有の勉強合宿とかいうクソイベで行ったから忌々しい記憶しかなく、もう2度とこの地に戻ってくるとは思ってもみなかった。

 

前日に花見に行こうと誘われた突発イベントだったけれど、たまには出かけようと思って承諾したものの、もう満開なはずもなく雨が降ったこともあり、案の定ただの山と化していた。これは想定内なんだけれども。

 

近鉄南大阪線大阪阿部野橋駅から吉野に行くわけだが前日に予定を立てたため、特急に乗ることはできず、快速列車で向かうことになった。朝は少し早めだったから1人が寝坊して集合時間に間に合わせる気もなかったようだったので他の人と先に現地に向かうことにした。これも想定内。

 

吉野に着いた後は寝坊した友人が来るまで歩いて中千本まで登った。

登る途中には何本か咲いているのはあったけれど、景色はただの山だった。

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事前に何も調べてなかったし桜にも疎いからただただ山の景色を楽しんでいた。

 

満開じゃないこの時期でもかなり人が多くてなかなか辛かった。オタク特有の早歩きタイプなので。

 

金峰山寺で寝坊した友人を待っている間は能や雅楽的なものが催されていたからそれを鑑賞していた。伝統芸能に疎いから詳しいことよくわからないけれどなかなか良かった。

寝坊野郎と合流した後は勉強合宿という名目で監禁されていた宿泊所を観に行ったがここも人が多い。ここで完全に囚人と化していた頃が懐かしく思えた。

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その後は吉水神社に行って、奥千本付近まで徒歩で登ったけれど、宿泊所を観た満足感からか急に足が止まり、帰ることになった。なぜか帰りにも宿泊所に寄った。

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(挫折の地)

 

今は葉桜の季節らしいけれど今度は満開のときに来てみたいな、とはほんの少しだけ思ったけれども吉野はもういいやっていうのが全員の感想だった。

 

やっぱり旅はのんびりしたい。